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まちづくりニュース

市民参加・協働のまちづくり
[書評]市民自治の憲法理論 <憲法記念日に読む一冊>
2006/5/2


●現在、支援をしている、市民参加の会議に参加している40歳代後半の男性が、こんなことを言っていた。「こういった市民参加の場に参加したのはこれが初めてだが、驚いていることがある。それは、私が大学生のころに読んだ、松下圭一先生の本に書いてあった、市民参加とか市民自治ということが、いまだに言われていることだ。」
 それを聞いて逆に驚いたのは、1974年生まれの評者の方であった。法学部出身でもなく、何の因果か自治体における市民参加の支援を生業としてきたが、市民参加という概念はここ15年くらいの新しいものかと思っていたからである。それが、自分が生まれたころには、その理論がおおむね構成されていたというのである。
 そこで、松下圭一・法政大学名誉教授の当時の著書で手近な、『市民自治の憲法理論』(松下圭一 岩波新書[青版] 1975年9月22日発行 700円+税)を遅ればせながら読んでみたが、そこでさらに驚いた。2000年の地方分権改革、また、制定が増加中の自治基本条例などの論理構成が、そこに見事に描かれていたからである。
 市民が議会や市長に「信託」し、という自治基本条例の前文でよく謳われる言い回しも、実は、松下先生の「機構信託論」に由来するものであることに気がついた。知らずしらず当然のように使っていたことを反省するとともに、ある考えが社会のなかで実体化するのには時間がかかるのだなあと、自分の人生を物差しにして実感したりもした。

●さて、憲法改正の機運が高まりつつあるなかで、5月3日に59回目の憲法記念日を迎えるが、憲法は条文だけを見るのでなく、条文の背後にある「憲法構造」を考えなくてはならないとして、憲法改正をしなくても「市民自治の憲法理論」を構成できるとしたのが、本書である。
 自治体における市民参加や協働に携わっている方は、この憲法記念日の機会に、ぜひ手にとってお読みいただきたいが、最も大きなメッセージだけご紹介すると、憲法を「国家統治の基本法」ではなく「市民自治の基本法」と考えるということになる。
 憲法で保障された国民主権は、選挙を通して国家による統治を認めるだけのものとなっており、主権者である国民は国家に統治される「客体」となっているが、政府への日常的な批判・参画を通して国民主権を<市民主権>化し、市民が「主体」となることを説いている。また、その際、市民が国とは別に信託した自治体が、まずは国に先立って市民への責任を果たすべきで、国民主権は自治体へと<分節主権>化するとしている。
 このように、《市民自治》の発想に立つことで、国民主権は市民主権・分節主権という形で活性化されるというのが、本書の最大のメッセージである。それは、自ら行動してこそ市民は主権者になれる、という動的なイメージであるとも言える。

●このような「市民自治の基本法」としての「憲法理論」の方向性は、先述したように、2000年の地方分権改革や自治基本条例の考え方を支えるものとなっている。市民参加や市民自治が、「いまだに」言われているというのは酷かもしれないが、「いまになってようやく」実体化してきたというのは正しいだろう。
 ちなみに、冒頭の男性は、もう1つ面白いことを指摘してくれた。「『参加権』などということを簡単に言ってのける学者がいるが、新たな権利ができるというのは大変なことだ。もし『参加権』があるとしたら、憲法の国民主権に由来するものでなければならない。」
 国立市のマンション裁判の判決では「景観利益」が認められたが、これが「景観権」となるには大きな隔たりがある。「参加権」の場合も、「市民自治の基本法」とする「憲法理論」の転換が30年以上かけて行われてきて、ようやく自治基本条例や市民参加条例で成文化できるようになってきたと考えるべきであろう。
 本書はまさに、その「憲法理論」の転換を図ったものであり、市民参加を唱導する人たちが踏まえるべき古典である。

●最後に、そんな古典でも、現在の状況にアレンジすべき部分もあるのではないか、との提起をして終えたい。
 本書で、松下先生は、市民が政府機構に信託するという「機構信託論」を唱えている。これは、国家を法人と考え、国民を国家の機関として服属させてしまう「国家法人論」を否定する意味合いで用いられている。戦前の「天皇機関説」が「国民機関説」に転じただけで、国家が国民を統治する点では変わりない「憲法理論」を批判しているのである。
 下図に示すように、「機構信託論」では、自治体とは「自治体政府」のことを指している。政府は1つの機構であり、市民は政府の構成員ではないので、両者は全く独立している。一方で、自治体(政府)は、「市民自治の憲法理論」による政治機構ということで、市民運動や企業といった様々な主体よりも格上に置かれている。

 ただ、近年の市民参加や協働の実体化が、「新しい公共」という概念を伴って行われていることを考えると、自治体もNPOも企業も同等な<分節主権>の担い手と考えた方がよいのではないか。構成員の多少により、生み出される公共性の大小は異なるにしても、対等な関係と捉えてもよいと思う。
 また、公共性が自発的な市民の集合によって生み出されるものとすれば、構成員という考え方が重要になる。構成員を持てば(広い意味での)法人となるわけで、自治体もNPOや企業と同じく、市民が自発的に「加入」することで○○市民(町民、村民)となる、メンバーシップの法人と考えられる(同様に、国という法人にも日本国民として加入できる)。
 問題は、市民が法人に統治されないようにすることであるから、信託した議会や行政に、それこそ日常的に「参加」することによって、法人内部の自治を行うことが大切になる。さらに、自治体という法人がNPOや企業や国といった別の法人と「協働」することで、社会全体の自治を果たす。

 これが、現在の状況にアレンジした「市民自治」の姿ではないかと考えるのだが、いかがであろうか。もっとも、市民(構成員としての○○市民ではなく)を自治体から独立した存在と考え、様々な分節化された主体によって「市民自治」が担われるとする基本的な部分は、現在の状況に照らしても変わらぬ黄金律である。

[解説]自治基本条例の『自治体の憲法』としての論点」「[解説]『参加』と『協働』はどう違うのか?」もご覧ください。

「[書評]まとまらない意見をまとめる合意形成の技術」[書評]市民参加条例をつくろう」「[書評]まちに森をつくって住む」「[書評]市民会議と地域創造」ご覧ください。

(東京ランポスタッフ・庄嶋 孝広)

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