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市民参加・協働のまちづくり
●現在、支援をしている、市民参加の会議に参加している40歳代後半の男性が、こんなことを言っていた。「こういった市民参加の場に参加したのはこれが初めてだが、驚いていることがある。それは、私が大学生のころに読んだ、松下圭一先生の本に書いてあった、市民参加とか市民自治ということが、いまだに言われていることだ。」 それを聞いて逆に驚いたのは、1974年生まれの評者の方であった。法学部出身でもなく、何の因果か自治体における市民参加の支援を生業としてきたが、市民参加という概念はここ15年くらいの新しいものかと思っていたからである。それが、自分が生まれたころには、その理論がおおむね構成されていたというのである。 そこで、松下圭一・法政大学名誉教授の当時の著書で手近な、『市民自治の憲法理論』(松下圭一 岩波新書[青版] 1975年9月22日発行 700円+税)を遅ればせながら読んでみたが、そこでさらに驚いた。2000年の地方分権改革、また、制定が増加中の自治基本条例などの論理構成が、そこに見事に描かれていたからである。 市民が議会や市長に「信託」し、という自治基本条例の前文でよく謳われる言い回しも、実は、松下先生の「機構信託論」に由来するものであることに気がついた。知らずしらず当然のように使っていたことを反省するとともに、ある考えが社会のなかで実体化するのには時間がかかるのだなあと、自分の人生を物差しにして実感したりもした。 ●さて、憲法改正の機運が高まりつつあるなかで、5月3日に59回目の憲法記念日を迎えるが、憲法は条文だけを見るのでなく、条文の背後にある「憲法構造」を考えなくてはならないとして、憲法改正をしなくても「市民自治の憲法理論」を構成できるとしたのが、本書である。 ●このような「市民自治の基本法」としての「憲法理論」の方向性は、先述したように、2000年の地方分権改革や自治基本条例の考え方を支えるものとなっている。市民参加や市民自治が、「いまだに」言われているというのは酷かもしれないが、「いまになってようやく」実体化してきたというのは正しいだろう。 ●最後に、そんな古典でも、現在の状況にアレンジすべき部分もあるのではないか、との提起をして終えたい。
ただ、近年の市民参加や協働の実体化が、「新しい公共」という概念を伴って行われていることを考えると、自治体もNPOも企業も同等な<分節主権>の担い手と考えた方がよいのではないか。構成員の多少により、生み出される公共性の大小は異なるにしても、対等な関係と捉えてもよいと思う。
これが、現在の状況にアレンジした「市民自治」の姿ではないかと考えるのだが、いかがであろうか。もっとも、市民(構成員としての○○市民ではなく)を自治体から独立した存在と考え、様々な分節化された主体によって「市民自治」が担われるとする基本的な部分は、現在の状況に照らしても変わらぬ黄金律である。 ※ 「[解説]自治基本条例の『自治体の憲法』としての論点」、「[解説]『参加』と『協働』はどう違うのか?」もご覧ください。 ※ 「[書評]まとまらない意見をまとめる合意形成の技術」、「[書評]市民参加条例をつくろう」、「[書評]まちに森をつくって住む」、「[書評]市民会議と地域創造」もご覧ください。 (東京ランポスタッフ・庄嶋 孝広) |
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