市民参加・協働のまちづくり
| 「市民討議会」をきっかけに参加手法について考えたこと |
2005/8/19
|
●2005年7月16日(土)・17日(日)の2日間、ちよだプラットフォームスクウェアにて、「日本で初めて行なわれる市民参加手法」をキャッチフレーズに、「市民がつくる行政のかたち 市民討議会」が開催された。主催したのは、社団法人東京青年会議所(JC)千代田区委員会。東京ランポスタッフの深田祐子が実行委員として参加したことから、東京ランポも協力団体として関わる形となった。
●「市民討議会」の何が日本初なのか。開催に先立つ7月11日(月)、「公開フォーラム」が行われ、「市民討議会」の内容が説明されることになり、筆者も参加した。
主催者によるプレゼンテーションによると、「市民討議会」の最大の特徴は、無作為抽出による参加という点にある。現在、自治体行政への市民参加は、公募で行うことが増えているが、公募の場合、相応の関心・意欲がある市民だけが参加するという面がある。無作為抽出することで、自ら積極的に参加するまでには至らない市民の参加を得るのである。
また、討議テーマについて、複数の専門家・関係者などから情報提供を受けることで、問題理解の正確さが高まり、5名という少人数のグループで討議することで、各自の意見を出しやすくするといった特徴もある。
●「市民討議会」には、実はモデルとなった手法がある。ドイツで行われている、「プラーヌンクスツェレ」である。日本の市民参加の研究者の間では、英訳された「プランニングセル(=計画細胞)」の名称で、むしろ知られている。
公開フォーラムでは、「プラーヌンクスツェレ」の考案者であるペーター・C・ディーネル教授のもとで学んだ、篠藤明徳・別府大学教授により、ドイツでの実例の紹介もあった。ドイツでは、都市計画、交通・エネルギー・環境、外国人市民の統合、科学技術の影響など、多様な分野で300以上の実践例があるという。
無作為抽出での参加、参加者への給与相当額の支払い、(委託元は行政でも)中立機関による運営、専門家からの情報提供、グループでの討議、投票による優先順位づけ、「市民答申」の作成・公表などが特徴である。
1コマ90分の作業を、休憩を入れながら1日4回、4日間にわたって行うのがスタンダードだという。現地視察のプログラムもある。25名が1つの「細胞」の単位であり、グループ討議は、毎回メンバーを変えながら、5名ずつに分かれて行われる。
●今回の「市民討議会」は、「社会的に支援すべき活動を行う団体への課税について」をテーマに行われた。現在、国で議論されている、「公益法人制度改革」にも関わるテーマである。
本家ドイツのものを小ぶりにした形で、15名によって1日半の日程で行われた。初日に討議を3回、2日目にまとめを1回という内容である。討議は各回とも、「説明→討議→投票」の流れで構成されている。
1日目の討議テーマは、「1.社会的に支援すべき活動の判断基準・ルール」、「2.社会的に支援すべき活動への課税・非課税」、「3.社会的に支援すべき活動・団体の判断・チェック」に分けられ、2日目は、1日目の結果に基づいた主催者案をもとにグループ討議と全体討議を行い、参加者からの案も追加したうえで、最終投票を行うというものであった。
「市民討議会」当日は、「プラーヌンクスツェレ」にならい、非公開で行われた。筆者も実際の様子は見ていない。ただ、東京ランポ理事長の佐々木貴子が特別に取材を許され、実行委員として関わった深田の助けも借りて、『季刊まちぽっと5号』にレポートしている。当日の様子は、そちらをご覧いただきたい。
●筆者は、「市民討議会」終了直後に行われた、「討議結果発表・意見交換会」に参加した。参加者は、主催者である東京JCの関係者がほとんどのようで、あまり質問が出ないなかで、筆者は市民参加の研究者・現場支援者としての関心から、2点ほど質問した。
1点目は、「市民討議会」の市民参加手法としての最大の特徴である、無作為抽出に関することである。意見交換会の冒頭、主催者から、千代田区の住民基本台帳から乱数表に従って599名の情報を抽出し、参加を依頼した結果、10名程度から問い合わせがあり、5名が参加の意思を表明したが、日程の都合などで実際に参加したのは3名であるとの説明があった。
そこで、他の12名についてはどのように集めたのか、また、仮に全員が無作為抽出で参加していたとしたら、討議にどのような違いが出ていたと予想するか、という質問をした。「市民討議会」に限らず市民参加は、そのプロセスが公開されることが、社会のなかで一定の力を持つための生命線であると言ってよい。まして、無作為抽出という、もっとも客観的な社会の縮図のつくり方を採用している以上、首長や議員といった「制度的な市民代表」が、市民の議論の結果に「ケチ」をつけることができるとすれば、それはどのようなプロセスで討議が行われたか、プロセスに瑕疵はなかったか、という点に尽きる。今回は、結局、全員が無作為とはならなかったわけだが、プロセスを包み隠さず公開する姿勢が大切であると思い、質問したのである。
回答は、主催者の知り合いに声をかけたということであった。「公募」へのアンチテーゼとして無作為抽出を採用していることもあり、不足人数を公募で集めることは行わず、こういった参加の場に出そうもない人を主催者の判断で誘ったということであった。ただ、全員が無作為で参加したとしたらどうなっていたと思うか、という質問には、全員無作為の方がかえって関心の高い人が集まったかも、という意外な答えが返ってきた。行政から案内が来たのならともかく、よくわからない団体から案内が来て、それでも参加しようという人は意識が高いと考えられるからということであった。
●2点目は、15名の参加者に対して向けた質問であった。「市民討議会」は、本家の「プラーヌンクスツェレ」にならって、ファシリテーターを置かずに、市民同士で議論するようになっている。「市民討議会」の主催者も、今後、全国に広めていくことを考えると、供給量の少ないファシリテーターの採用を前提としない方法を確立するのが重要であると考えたようである。
ファシリテーターを生業としている筆者としては、長期にわたって継続的に行われる会議ならともかく、1日半で結論を出さなくてはならない会議では、ファシリテーターがいた方がよいのではないかとも考えた。そこで、参加者に、ファシリテーターがいた方がよかったと思うかと質問した。2〜3名にでも答えてもらえればと思っていたら、それまでの質問が主催者や情報提供者の専門家に向けたものばかりであったためか、半数以上の参加者から続々と回答があった。
もし全員が無作為で集まっていたら、短時間でまとめるのはより大変だったろうという意味で、ファシリテーターがいた方がよいという意見があった。参加者のうち、筆者のファシリテーター仲間でもある人(上記のこういった場に参加しそうにない人という点では、なぜ参加しているのかハテナだが……)も、議論がなかなか進まないのを見て、ついファシリテーター的に振る舞ってしまったと言っていた。一方で、ファシリテーターが準備されていたら、作為的なものを感じただろうという意味で、いなくてよかったという意見もあった。討議の手順が示されていれば、それだけで十分であるという意見もあった。
また、面白かったのは、多くの人が、5名というグループ討議の人数がよかったと述べていたことである。5名だと1名だけ黙っていられない雰囲気があり発言せざるを得ない。ケンカになった場合でも、3名だと1名で止めることはできないが、5名なら他の3名で止めることもできる。7名だと発言をせず余る人が出る。そういった感想も聞かれた。
そんな、ファシリテーターがいない形で行われた「市民討議会」であったが、それでも本家ドイツの「プラーヌンクスツェレ」を知る篠藤教授は、主催者が案を提示したり、討議を整理するためのシートを準備したりする点はやりすぎで、参加者の自由な議論に任せるべきであると考えていたようである。
●「日本で初めて」をキャッチコピーとした「市民討議会」は、市民参加の支援をしている筆者にも、いろいろなことを考える材料を与えてくれた。
無作為抽出による参加が、一般の行政テーマに関して行われたということは、やはり最も注目すべき点であった。結果としては、599名に案内して3名の参加ではあったが、そういった数字も実際にやってみたことで得られたデータである。ただ、無作為抽出と言っても、2009年5月までに導入される裁判員制度のように、原則的に拒否できないというものではなく、無作為抽出で案内を受けたなかから希望者のみが参加する形である。そういう意味では、それはそれで一定の意欲・関心のある人が参加することになろう。ただ、公募に気づかずに参加の機会を逃すといったことは防げるだろう。
もっとも、無作為抽出という最も重要な特徴が「看板倒れ」に終わらないよう、主催者には、今回の経験を材料に、無作為抽出でも十分に参加者を得られるためのアイデアを期待したい。また、公募型の市民参加の場合でも、「大和市自治基本条例をつくる会」のように、公募による市民会議が、地域の様々なところに出かけていって意見交換をするなかで、より広い市民の声を集めたうえで議論するというスタイルを実践した例もある。教条的に公募を否定するのでなく、実現可能な公募という手段のもとで、より広い市民を巻き込む方法を開発することが、さしあたっては重要ではないだろうか。
●次の、複数の専門家などからの情報提供を受けて議論するという点は、残念ながら「日本初」ではない。「公開フォーラム」のパネリストでもあった、若松征男・東京電機大学教授が、1998年以来、遺伝子治療、高度情報化社会、遺伝子組み換え農作物、ヒトゲノム研究などをテーマに行ってきた「コンセンサス会議」で、専門家から情報提供を受けて市民が議論する方式は採用されている。また、2005年に開催された、情報提供だけでなく専門家との対話を取り入れた「ディープ・ダイアローグ」による、脳死・臓器移植をテーマとしたワークショップでは、筆者もファシリテーターとして、若松教授のお手伝いをさせていただいた。(深田は、そのとき筆者がファシリテーターに誘ったことが縁で、公開シンポジウムの際に東京JCメンバーと知り合い、「市民討議会」に関わることになった。)
それでも、複数の専門家から情報提供を受けることが重要であることには変わりない。公募市民を中心に構成する市民会議では、専門家が関わると言うと、学習会に1名の講師を呼ぶとか、アドバイザーとして1〜2名を行政があてがうのが普通である。立場や考えの異なる複数の専門家から意見を聞くという公平な情報提供のされ方は、市民会議では基本的にお金をかけられない実情もあってか、まず行われない。若松教授の方法や「市民討議会」のような、複数の専門家による情報提供のあり方は、公募型の市民会議でももっと真面目に採用されてもよい点である。
もっとも、「コンセンサス会議」や「市民討議会」は、短期間で行われ、議題も予め主催者によって設定されているのに対し、市民会議は、長期にわたって継続的に行われ、議題も市民自身が設定することができるという違いはある。篠藤教授によると、「プラーヌンクスツェレ」では、主催者が事前に関係者などによる円卓会議を開き、議題の設定を行う事例もあるそうだが、市民会議で応用する場合も、市民会議と行政が関係者などを集めた会議を開き、偏りのない情報提供者選びをすることが必要になろう。
●最後に、討議の進め方であるが、「プラーヌンクスツェレ」に範をとりつつも、ファシリテーターがいないなかでも議論が進むよう、深田が中心となって工夫を行ったようである。もっとも、この点も、筆者が若松教授の脳死・臓器移植ワークショップでファシリテーターを務めた際に考案した方法と大差はない。まず自己紹介で一回りして、二巡目から意見を順に述べていくといった方法である。ただ、最初に抽選で発表者を決めるというのは、筆者も考えつかなかった面白い工夫である。確かに、通常のグループ討議の場合、最後になって誰が発表するかをバタバタと決め、結局いつも同じ人が発表をするというのがよくある光景だが、いろいろな人が責任感を持って議論に参加するよう、最初に抽選を行うというのはよいアイデアである。
また、短時間で討議内容を整理するためにシートを準備することも、ワークショップではよくやる方法であるが、篠藤教授には準備しすぎと映ったようである。市民が議論を自己組織化していくことを重視すれば、確かにそういったことはすべきでないのだろう。一方で、短時間では、多角的な検討に至らず、早めに出た話題や思いつきのアイデアに議論全体が引っ張られる恐れもある。ドイツでの実際の様子を見たことがないので何とも言えないが、ファシリテーターがいない場合はなおさら、若松教授の言葉で言えば、「ある一定のルールがあるスポーツのようなものだと思って参加してもらう」面があっても致し方ないように思うが、いかがであろうか。
●とにもかくにも、市民参加に関わっている者にとって、新たにいろいろと考える材料を提供してくれた「市民討議会」であった。主催者にはぜひ、今回の結果を分析したうえでさらなる改善に取り組み、この手法を日本に定着させるという目標に向けてがんばっていただきたい。また、多くの研究者や実践家の目に触れるよう、早い報告書の発刊が待たれるところである。
※ 『季刊まちぽっと5号』(2005年8月発刊)の「らんぽ探偵団」に「日本初 『市民討議会』の試み!」(佐々木貴子)を収録しています。合わせてご覧ください。
※ 「市民と専門家が対話する会議手法の創造に向けて」、「専門家と対話するワークショップの技法的な感想」、「地球温暖化問題で討議制意見調査の試み」もご覧ください。
(東京ランポスタッフ・庄嶋 孝広)
|