連載 NPOの論点9

月刊ランポNo.46   2001/10/13

連載 NPOの論点9 市民活動としてのNPO
・・・その2

前回は市民活動の概念整理を行った。東京ランポNPO研究会の法案(1994年)が「市民活動推進法案」と名づけられたのは、NPOに市民活動というイメージがあったからである。NPO法は、議員提案の法律が当初の提案段階で「市民活動法人」という名称を用いていたように、また、法律の目的が特定非営利活動を「ボランティア活動をはじめとする市民が行う自由な活動」と規定するように、その実質的な内容は市民活動団体のための法人格付与法なのである。あいにく、法律は「特定非営利活動促進法」という無内容なタイトルに変えられてしまったのだが、その名称は東京ランポの通称に生き延びているという次第なのである。
話を先にすすめよう。第1に問題となるのは、市民活動とNPOとの重なりあいである。民法にもとづく社団法人の多く、また病院、学校など財団型のNPOは、市民活動というイメージからほど遠い。これらの組織のあるものは、一見すると「活動」的要素を感じさせないが、社会活動をベースに成立しているものもある。この点は、ジェームスが強調していたところである(第6回参照)。
しかし、営利企業や政府部門からの派生形態としての非営利組織の存在も無視できない。政府そのものを市民活動、そしてそれらが活動するコミュニティから発生してくるものと考えることもできる。だとすれば、政府そのものを市民活動の延長上にとらえることも可能になってくるが、ここでの議論にとっては抽象度が高すぎる。市民活動と、営利・政府部門から派生した非営利組織とは異質性をもつという区分が妥当だろう。この場合に、市民活動は政府や企業を出自とする非営利組織が、その編成・運営において準拠すべきものととらえられるという仮説を想定することができるのではないか。これを現実的な政策の問題として言い表すなら、特定非営利活動法人の運営・活動準則にもとづき、既存の公益法人の組織改革を求めることになる。なによりも、情報のオープン性を共通のものとしていく提案が行われる必要がある。また、営利偽装の「公益法人」は、NPO法や税法の準則にもとづいて排除されていくのである。

市民活動の非営利性
次に問題となるのは、ここで定義づけたような市民活動は、非営利性を固有の性格として当然に含むのか否か、ということである。これに答えるためには、活動や組織編成の特性が市民活動と営利企業活動とではどのように異なるのかを検討しなければならない。
市民活動の要素をもちながら同時に営利性をもつものもあることを完璧に切り分けることは困難であるが、市民活動と営利性の関係を次のようにおさえられるだろう。市民活動は、@構成する者にとっておよそ金銭的利益の分配を追求する必要のないもの、A金銭的利益を追求(分配)すると活動が継続(組織が維持)できないもの、B倫理的に金銭的利益追求を禁じられているものに集中する傾向がある。これは営利組織と市民活動が異なるインセンティブで編成されていることを示唆している。たとえば、同窓会は金銭的利益以外に充足できるものがあるので、人はそれを求める必要がない。ただ、市民活動が組織や活動の維持のために営利を目的とする事業を展開することはあるが、その基本的な性格は本来の事業に付随するものである。
営利企業は、資本を軸に人が結合する組織であり、産出物を市場で販売し、利益を構成員の出資に応じて分配する組織である。これに対して、市民活動は元手としての活動資金がなくてはならないが、まずは直接的な人の結合として出発する。市民活動の産出は市場以外の場で評価される。市民活動において利益が生じるかどうかは二次的な問題だが、営利企業にとっては、利益が獲得されなければ存在理由を失う。つまり、活動の結合形態、インセンティブ、市場との関係から、市民活動と営利活動とは異なるものと把握される。
現代経済の中心にある株式会社について、より具体的活動パターンをみてみよう。株式会社は、多数の株主が利益の獲得という共有された目的をもって参加し、資金を出しあっている。また、利益を得ることができれば、参加者は大いに充足するに違いない。そういう意味では集合行動といえるかもしれない。しかし、株式会社への参加は、@株主の参加が形式的で企業の意思決定に実質的な意味をもっていないこと、A市民活動における充足は成果と活動過程における充足とを一体のものとして含んでいるが、株式会社の場合は結果の充足があればよいこと、B内部的な意思決定はタテ型位階制で編成されており、トップダウンであることなど、市民活動のあり方とは異なる要素がある。
このように営利企業と市民活動とは本来的に異なる属性をもつが、一方で、無軌道な企業の利益追求は公害などの外部不経済を生み出すばかりでなく、肝腎の市場秩序をも機能不全に陥らせる。また、営利企業もまた人間の組織であり、民主主義社会においては営利企業も民主的な指向性をもたざるをえない。古くは産業民主主義への取り組み、マネージメントにおける従業員参加への傾斜、近年のコーポレート・カバナンス、米国における「企業デモクラシー」や社会的責任投資などの現象は、営利企業にも人の結合体としての要素や民主主義の衝動が影響していると見られる。そこには、営利企業への市民活動からのインパクトがあるともいえるだろう。また他方で、市民活動の非営利性は、営利企業の存在があることと相補的な関係にある。営利活動があればこそ、市民活動の非営利性も確保されるのである。

集合財の再定義
市民活動は、集合財の実現を追求する。ここでの集合財は、公共経済学が定義する公共財とは関係がないものとして取り扱う。集合財とは、人びとが集合することによって供給される財である。それは、政策アドボカシーにおいては政策そのものである。親睦団体などは、組織そのものが集合財であるかもしれない。経済学的に私的財として取り扱われる他者を排除し分割できない消費財でも、それが集合的に追求されるのであれば、集合財であると考える。
集合財は、いわゆる私的財から公共財までの幅広いスペクトラムに分布している。図は、供給サイドからとらえた集合財の位置を表現したものである。財の性格を利他性・利己性と集合性・個別性の軸からとらえている。実線で囲んだ部分が市民活動としてのNPOが提供する集合財(C)で、点線で囲んだGは政府、Pは営利企業の提供財である。これらは重なりあうが、それぞれに異なる配置に置かれている。利他性と個別性が強い第2象限には、図示していないが、個人の寄付という個別的な供給がある。
これはワイズブロッドのいう集合財をさらに拡張していて、ローマンのいう共同財に近いものである。ワイズブロッドの信頼財は、図の第4象限に位置する集合財である。共同購入形態で供給される私的財もここに位置づけられる。利他性のつよい集合財は、あるカテゴリーの人びと、たとえば所得の低い人びと、またたとえばある種の疾病に侵されている人びとに対して等しく消費されるように提供される。その意味では、公共財的な性格をもつことになるが、供給には市民活動の力量に応じておのずと限りがある。(つづく)

 
(東京ランポ理事・林 和孝)

home