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| 月刊ランポNo.43 2001/05/28 連載 NPOの論点6 人びとはなぜ、NPOをつくるのか この連載はこれから後半に入るので、これまでの議論のポイントを振り返っておきたい。最初の私たちの関心は、市場との接点におけるNPOの位置づけにあった。市場経済において、NPO活動は営利企業とどこが同じで、どこが違う取扱いを受けるのかということがテーマだった。そこでは内部ルールとしての非営利と、市場での取扱いは異なる次元にあるという議論をした。NPOの収益事業が市場で営利企業と違う位置づけをされるとするなら、そこには (1)市場取引にはない贈与性をもつこと、 (2)コミュニティにおいて公共的と承認されることの、 いずれか(または両方)が求められることを示唆した。前回、紹介したワイズブロッドの「集合度指数」、そして税制におけるパブリック・サポート・テストは、それらを確かめるひとつの方法だといえる。* * パブリック・サポート・テストは、NPOに対する日本の寄付減税税制でも取り入れられることになった。NPO活動の目的・活動内容の審査ではなく、外形的に広く市民に支持されているという点だけを主に審査するという方法を日本の主税当局がとったことは、画期的なことだといってよい。これは背後にある公益概念、つまり政府のみが公益性を判断し、民間活動の公益性は政府が分かち与えるものだという公益概念の転換を示すものである。この方式を軸にして、これまでの寄付税制は大きく転換される必要がある。だが、ほめられるのはこの点だけで、今回の寄付税制はとてもひどいものだ。ハードルが高いため、ほとんどのNPO(特定非営利活動法人)が該当しない。とくに、ひどいのはひとつの市区町村だけで活動しているNPOを排除していることである。コミュニティ活動がNPOの有力な活動分野であるということを、政府および与党はまったく理解できていないのである。 続いてこの連載は、米国における医療機関の営利転換問題をとりあげて、営利企業と非営利とがここでは容易に代替可能になっていることをみた。ここではコミュニティにおける公共性(公共利益)または公共政策に関する論点が宿題として残された。そして、営利企業との比較の視点から米国NPO論の代表的な議論――「契約の失敗」と「集合財の提供」とを紹介してきた。この議論はまだ途中であるが、残された論点は、政治・社会にかかわっている。この連載の後段の議論は、市場とNPOから社会におけるNPOへ、営利・非営利関係から政府・非営利関係にシフトしていく。 集合財はなぜ、非営利形態で供給されるのか さてそこで、前回のハンズマンによる集合財供給仮説に対する批判(2)――多様な集合財需要をもつ者が営利企業ではなく、非営利を選択する根拠を十分に説明していないという批判について考えることにしよう。 ワイズブロッドは『非営利経済』のなかで、政府サービスでは充たされない多様な需要は私的財でも補完できるが、それは消費者にとってコストが高くつくという。一般論としては、非営利は営利企業が必要とする利益分だけ安い価格でサービスを供給できるとはいえる。たとえば、警察の補完としてガードマンを雇うよりも自警団を組織した方が安上がりかもしれない。しかし、それには参加者の時間と労働の支出が必要で、その機会費用を考えれば、どちらともいえなくなる。あるいはまた、非営利企業は市場経済タームでいえば非効率であるかもしれない。だとすれば、消費者コストの高低はいよいよ判然としなくなる。 かれはまた、集合財への需要が多様な国では非営利セクターが大きくなるともいう。米国では非営利セクターが大きいのは集合財への需要が多様であり、日本で小さいのは単一性が強いからであるとする。ワイズブロッドは、これを非営利セクターの規模を説明する「需要多様性モデル」と呼ぶ。「他の条件が等しいとして、需要の多様性の大きさは非営利セクターの規模を大きくするだろう」。そうだすると、なぜ米国では需要が多様で、日本では多様ではないのかを説明しなければならない。その説明は市場経済的な要素ではなく、全般的な社会的要素に求めることになるだろう。 供給サイドの説明 前回に見たように、エステル・ジェームスは主として教育分野を対象に国際比較を試みた論文のなかで、国民のなかに文化的な差異があると差別化需要(政府が供給するものとは質的に異なる需要)が生じやすいと指摘していた。すこし詳しく彼女の議論に耳を傾けてみよう。 民間セクターは、準公共財に関して次のような社会的条件が重なっているとき、大きく成長する可能性があるとされる。 (1)供給の多様性を求める集団の異質性が、深い文化的差異(宗教、言語、民族などの)により強く濃厚であるとき。 (2)これらの集団が地方政府のサービス供給ではまかないきれないほど地理的に分散しているとき。 (3)政府が単一のサービスを選択するよう制約しているとき。 (4)支配的文化集団が他グループの独自の選択を許容しているとき。 これらのなかで優先される条件は(1)であり、これを彼女は「文化異質性モデル」と呼んでいる。このモデルはたとえば、現在のオランダやベルギーによくあてはまる。これらの国は言語・宗教などの深い文化的亀裂(cleavage)があり、教育だけでなく医療・福祉サービスなどの他の準公共財についても、政府の補助を得て民間機関が供給している。 それではなぜ、準公共財供給の多くは非営利形態をとるのか。教育に関する巨大な超過需要があるところ、つまり教育機関が圧倒的に不足しているところでは、富裕な人びとは利益最大化を求める組織にも料金を支払おうとするので、営利学校が存在する(たとえばフィリピン)。とはいえ、一般的にほとんどの学校は非営利である。この事実をどう説明するのか。 ここでジェームスは「なぜ、設立者は非営利形態を選択するのか」(下線筆者)と、供給サイドの説明を提案する。非営利組織を設立する者の動機は、法律が非営利であることを求めるので、偽装した非営利として隠れた個人的利益を得ようとしているのかもしれない。管理者への何らかのキックバック、市場賃金をこえる報酬などが考えられる。だが、これらのケースは超過需要があるところで観察されるが、差別化需要のあるところではほとんど見られない。 そこで次に設立者が非営利を選択する動機として考えられるのは、社会的地位、声望、政治力の獲得などである。設立者たちは金銭的利益の代わりに、それらの無形の利益を得ようとしているのではないか。しかし、より重要な動機がある。私立学校の設立者の多くは個人的な利益を求める者ではなく、イデオロギー的な組織なのである。設立者は政治団体、社会主義的な労働組合など、そして多くの国で見られるのは組織された宗教なのである。かれらの目標は利益の最大化ではなく、イデオロギーや信仰、政策の信奉者の最大化にある。非営利の学校や医療機関は、それらの団体の参加者を増やし、その信念を固め、社会との調和(社会の救済)をもたらすもっとも効果的な方法であるといえる。 しかも、宗教団体などは料金以外の寄付という収入源をもち、ボランティアの伝統をもつ。かれらは信奉者の最大化のために低料金でより「良い」サービスを提供しようとするだろう。また、信奉者たち(学校の場合は子どもの親たち)は、所属する宗派その他を信頼しているだろう。それは非営利に対するというより、団体またはその理念そのものに対する信頼である。 こうして彼女は、「宗教に動機づけられたNPOの設立は、どこで非営利組織が設立されるのか、なぜ非営利形態が利用されるのか、どのようなサービスが提供されるのか、そしていかに非営利が政府や利益最大化〔営利〕部門と有効に競争するのか、などの問題に強力な供給サイドの説明を提供する」とするのである。(つづく) |
| (東京ランポ理事・林 和孝) |