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| 月刊ランポNo.42 2001/03/27 連載 NPOの論点5 集合財の提供者としてのNPO 存在理由―経済的優位性に関する議論(その2) 前回は、ハンズマンとワイズブロッドの議論を素材に「契約の失敗」仮説について検討したが、引続き第2のテーマである「集合財」仮説について考えてみよう。ここでも、両者の見解は対立を含んでいる。 政府は多様な要求に応えられない ワイズブロッドの議論の文脈は、次のようになるだろう。 民主的に選出された政府をもつ社会では、政府が供給するサービスは有権者のニーズの幅広い多様性に応えることができない。政府は、二大政党制のもとではとくに、多数者または中位の投票者の要求にしたがうようになる。あるいは、組織力の弱い個々の消費者(市民)の要望を無視・軽視して、組織力の強い私的グループの要望に応えがちである。定期的に選挙を迎える政治家の場合にはまた、長期的な視野に立たず、短期的な人気取り政策を実施するかもしれない。 政府は、そもそも、ある特定の条件にある者に異なる規制や給付をしてはならない。給付については受け取る方にニーズのばらつきがあるときには、ある者にとっては過小な給付、他の者にとっては過剰な給付となる。このような一元的な給付と同じように、政府の許認可やサービス提供は監視コストがかかるために、外形的なものになりがちである。 このような政府の対応は、多様な要求をもつ市民の需要を充足させることができない。そこに非営利組織の存在理由が出てくる。これらの市民が求めるものは、私的財ではなく、集合財(または公共財・準公共財)である。 ワイズブロッドの1970年代の議論を発展させたジェームスは、このような政府によって充足されない市民の需要を超過需要と差別化需要に区別する。超過需要(excess demand)とは、政府の供給よりも多くのサービス提供を望む人びとの需要である。差別化需要(differentiated demand)とは、政府が供給するものとは違う種類のサービス提供を望んでいる。あるいは質的に異なるサービス提供を望んでいる。私たちにとって馴染む表現を使えば、超過需要を「上乗せ需要」、差別化需要を「横出し需要」といいかえることも可能だろう。 ジェームスの議論を一般化すると、警察の警備を補完するためにガードマンを雇うこと、自警団を組織することなどを、超過需要の例としてあげることができる。あるいは、介護保険の保険外サービスを買いたいという要求は超過需要となるだろう。 これに対して、差別化需要は、国民のなかに文化的な差異があって、それが強い場合や地理的に分散している場合に生じると、ジェームスは指摘する。それほど強い文化的差異がなくとも、差別化需要は生じるだろう。たとえば、日本の私学教育は、超過・差別化需要の両者を含んでいるように思える。それは団塊世代が学齢期だった頃には超過需要で、最近は差別化需要へと傾斜している。その差別化は文化的差異というより階層的差異を反映しているように思われる。介護保険が多様な供給主体の選択を(制度として一応)認めることは、差別化需要への対応と考えることができる。 集合財とは何か これらの需要を集合的に充足させるために、NPOを設立するようになるというのが「集合財」仮説である。これに対して、ハンズマンは(ワイズブロッドの70年代の論文にもとづいて)、次のように批判する。 (1)事業型NPOの多くは集合財(公共財)を提供しておらず、私的財を提供している。 (2)集合財需要をもつ者が営利企業ではなく、非営利を選択する根拠を十分に説明していない。 (3)このように見ると、集合財仮説は契約の失敗仮説によって補完される必要がある。 ここでなによりも問題になるのは、集合財の理解である。 公共経済学の教科書を開くと、公共財とは、(1)ある個人に供給される財は、希望するすべての者に供給される(非排除性)、(2)ある個人が消費したあとでも、他の個人も等しく消費することができる(非競合性)という2つの性格をもつ財であると説明する。例として、よく引き合いに出されるのは灯台である。灯台の明りは、そこを通る船は排除されることなく、どの船も等しく享受できる。逆にたとえば、最近流行のメロンパンには数に限りがあり、対価を払って買わねばならず、買った人が食べてしまえば、だれも消費できない。つまり、私的財である。純粋な公共財と私的財の間には、中間的な財があり、これらは準公共財と呼ばれる。ハンズマンの批判は、このような公共財理解のうえに立っている。 ところで、公共経済学において、公共財に関する2通りのとらえ方がある。ハンズマンの理解は、上に述べたような財固有の性格に着目するものである。これに対して、集合行動という側面から公共財を把握しようとする見解がある。ワイズブロッドの集合財概念は(『非営利経済』では明示的ではないが)、前者のような理解とは異なり、消費者行動の側面から集合財をとらえていると考えられる。つまり、財そのものの性格からというより、人びとが集合的に消費しようとする関係性の側面から集合財をとらえているようである。〔この点については、黒川和美『公共部門と公共選択』第2版 1993年 第2章をご覧いただきたい。〕 ワイズブロッドは、NPOを私的な性格をもつものと公共的なものにわけ、後者をさらに「信頼型」と「集合型」に分類している。信頼型とは事業型NPOで、その財の性格は私的財であるが、消費者保護の要素をもつ。医療・福祉系がそうである。この信頼型非営利が提供する財を、かれは「信頼財」と呼ぶ。信頼財は私的財と集合財の中間に位置すると理解される。集合型とはメンバー以外の者に対して便益を提供するものである。科学研究、救貧、海外協力、権利擁護、政策アドボカシーなどなどである。 純粋私的な非営利組織から純粋公共的な組織までに幅広い分布があって、そのレベルを近似的に把握するために、ワイズブロッドによって「集合度指数」(collectiveness index)が導入される。ある団体の収入に占める寄付、贈与、補助金などの合計額の比率が集合度指数であり、これが高いものほど集合性(公共性)が高くなる。いいかえれば、公衆や政府の支持が多く得られていて、集合的に消費される性格が強い財を提供していることを示す。集合度指数にしたがえば、信頼型NPOでも集合型に該当するものもありうるだろう。これは米国税制において、税優遇の基準となるパブリック・サポート・テストと同じ考え方であるといえる。 ところで、消費者(市民)にとって、政府が提供するものでは充たされない、上乗せ・横出し需要があるとき、それらを充足させようとして集合的な行動を起すとすれば、市場についても同じことがいえるだろう。上乗せ・横出し需要は、必ずしも政府の失敗だけでなく、市場の失敗からも生まれてくるのではないか。市場商品に求めるものがないとき、集合的に共同製作・共同購入が立ち上がる。このような非営利組織が提供する財は、ワイズブロッドの分類にしたがうと、私的財になるのか、それとも信頼財なのだろうか。 それはともかく、このように集合財をとらえると、ハンズマンの批判(1)はいいすぎかもしれない。ハンズマンの批判(2)については、集合行動の主体に着目する議論が必要になると考えられる。そして、集合財を人びとの主体的な行動面から把握しようという立場に立つと、この議論はたんなる経済的優位性の議論をはみ出して、政治的・社会的な要素を含めて考えなければならなくなる。(つづく) |
| (東京ランポ理事・林 和孝) |