| 住まい手自身が住まいづくりに集団で直接参加する、新しい住まいのつくり方である「コーポラティブ方式」に、コミュニティの再生、ひいてはまちの再生を期待することはできるのだろうか。
今回は、大規模コーポラティブを手がけてこられた、NPO全国コープ住宅推進協議会理事であり、暮らしと住まいのネットワークセンター理事である大久保隆行さんと、手づくりのコーポラティブ住宅をつくられた、愉快な住まいの会・コーハウス喜多見の山野宏さんを講師に迎えて、その可能性を探ってみた。(10月5日開催)
大久保隆行氏「大規模なコーポラティブ」
コーポラティブ住宅は、約30年前に手がけられ始め、全国で7,500戸が建設されている。1978年の旧建設省住宅局コーポラティブ方式研究委員会の定義によれば、「自ら居住するものが、組合を結成し、共同して事業計画を定め、土地を取得、建物の設計、工事発注、その他の事業を行い、住宅を取得し、管理していく方式」である。
同時期に東京都住宅供給公社コーポラティブ住宅課に奉職することになった大久保さんは、新たな体験をすることになった。それまでの画一的な集合住宅の供給とうって変わって、入居者自身がいきいきとして、良いコミュニティをつくっていたからである。
大久保さんは、コーポラティブはあくまで住まいのつくり方であり、つくっていく過程で住まい手同士が議論することを通して、人間関係をデザインしていくことが本質であると言う。納得いく価格、希望の生かせる計画、良好なコミュニティ、豊かな人間関係と環境が、コーポラティブの効用であると定義する。
大久保さんが手がけているケースは、主に企画者主導型のコーポラティブであるが、最近多いデザイナーズマンション風の都市型ライトまでこの範疇に加えることには、いささか抵抗感があるとのことだ。
権利関係については、従来からの区分所有にもとづいた土地利用権、建物区分所有が多数だが、近年、賃貸型、定期借地権型、建物譲渡特約付借地権型、つくば方式など、上もののみの区分所有が増え始めている。
実際に大久保さんが手がけた大規模コーポラティブ住宅として、ヴェルデ秋葉台(115戸、八王子市)、日本最大のコーポラティブ住宅ノナ由木坂(252戸、八王子市)がある。
大規模なため、企画段階からの住まい手参加は困難だ。民間設計者、ディベロッパー、ゼネコン、住宅供給公社、都市基盤整備公団、公的機関などが企画を担い、これらの企画者が基本設計を実施後、標準設計の中でインフィルを変更したり、フリートーキングや発想ワークショップを用いて合意形成を図り、コモンスペースや管理などのソフトづくりに時間を当てているのが特徴的だ。
この過程で培った共同意識は、家財道具を持ち上げるエレベーターの運用で協力がされるなど、入居のための引越し作業に端的に表れる。
チームワークのよいコーポラティブ住宅が集団で地域に関わると、浮いた存在になってしまうため、各戸単位で関わることを原則としている。ただ、住宅内でのつながりは裏方で生かされ、建築士を育成するワークショップなどに協力したり、学校を通しての協力関係の構築に努力している。顔の見える範囲から、地域コミュニティの種まきに取り組んでいるとのことであった。
山野宏氏「手づくりのコーポラティブ」
次に、全てをエンドユーザー主導でつくり上げたコーハウス喜多見(世田谷区)の事例について、山野さんからお話を聞いた。
山野さんの事例は、14世帯約50人、2歳から高齢者までが住む、4階建てのコーポラティブ住宅だ。敷地面積924u、延べ床面積1,642u、共有面積約494u(約30%)、公開空地226u。
1998年に竣工、入居するまでに実に10年をかけている。きっかけは、同じ社宅に居住していた仲の良い家族とずっと一緒に暮らしたいという思い。コーポラティブ方式で「世田谷に住む」ことを唯一の条件にして、以後建設への道のりを歩むことになる。
94年に土地探し、「愉快な住まいの会」のメンバー集めを開始した。頼もしい支援者は、世田谷まちづくりセンターであった。センターには、95年に学習会のコーディネーターとして協力してもらったが、その後も、センター職員がモデルケースとして自主参加してくれた。素晴らしいコーディネート能力を持つ職員が最後まで支援してくれたことは、本当にラッキーだった。また、職員の側も、コーディネートの過程で体験したことをまとめ、イラスト付き「コーポラティブ住宅づくりセルフガイドツアー」を生み出すことにつながった。
95年に本格的なスタートを切り、「セルフガイド」にもあるような、本を読んでの勉強会、見学会への参加、親睦会の開催、チラシ配りや友人への声かけなどを数ヶ月行い、やっと8月に建設準備組合を設立した。同時に20数社からの設計者選びも開始し、全員による2ヶ月間の討議後、3社によるプロポーザル方式で、片山和俊さんとDIK設計室に決定した。土地の最終決定もされ、95年12月に建設組合を設立し、住宅・都市整備公団(当時)にグループ分譲方式による実施案を申請した。
住まい手主導の自主企画型を選んだが、始めてみると、誰がどこに住むのか、価格差をどう算定するのかなど、合意形成の難しさにぶち当たった。マンション業者が公開していない価格差算定式を、メンバー自身で考案しながら合意を取り合うのだから、大変なことこの上ない。ここが企画型コーポラティブ住宅と大きく違うところである。しかし、その過程で、男性と女性の思考回路の違いを乗り越えることや、いきなり人を説得するのではなく、まずは理解のレベルを同一にすることの大切さを学んだという。山野さんは、この「陣取り」と「環境係数」はきれいごとでは済まない難物だが、集まって住むことによるメリットを最大限に生かし、親も子も輝くコミュニティの場にするという「仲間との約束」が、乗り越えるうえで最大のキーポイントであったと述懐された。
建設組合設立後も2年をかけ、94年11月からあしかけ100回の会議を経た。大切な公式記録である瓦版(53号)、会議議事録は、居住メンバーの宝になっているという。
現在、築5年を過ぎ、地域の町内会とも仲良く付き合っているという。春の花見と夏の花火鑑賞、町内会の年1回のバス旅行などは、全員参加の行事ということだ。
また、住宅内の住民間の関係については、住まい方は各戸の自由としているが、不動産を処分するときには管理組合に報告することを条件としているそうだ。山野さんは、全員の顔を見知っているこの住宅には、セキュリティも含めて、非常に満足していると言われた。
質疑応答
さて、2つのタイプを事例別に見てきたが、会場から、家族形態の変化にどう対応するのかという質問があった。コーポラティブ方式の場合、現状は「建て替え」で対応することが多いため、今後はマンション内での「住み替え」の可能性に期待したいとの答えがあった。
合意形成の極意は、コーディネーター役が、ユーザーの中からコーディネーター役を探すことであるとの回答には、会場も爆笑。また、支援者の存在、会議場所の確保の重要性などが浮き彫りになった。
地域まちづくりへの展開であるが、コーポラティブ方式により、住宅内のコミュニティの芽は出ているが、地域への広がりについては、今後見守る必要がありそうだ。
最後に、講師のお2人とも、密集市街地の再生・修復は、全員合意の手法であるコーポラティブにしか活路は見出せないだろうと、言っておられた。
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